進歩、前進。あるいは永劫へ ―イーガンの順列都市―

公開日: 2025年12月20日 | 著者: パイズリーPARK☆
MODE: DOME
AREA: GALAXY
AURA: MIDNIGHT

熱のない人生なんてつまらない。無神論者ボンボンでポン中ビッチをレンガで殴り殺したじいちゃんは、終わりがなく無限に伸び続ける世界の片隅で、終わりのない罪を悔い続ける。そして、無限の世界がそのネイチャー、エシュリオン人にNOを突き付けられ慣れ親しんだ有限と変えるとき、じじいはグリットの中にとらわれたまま、体を硬直させ、冷え切ったその淵で、神話の一部の傍観者に。

無神論者は永遠の中でのみ存在する。ピーが唯物論的国家とか言っていたけどまあそれは交わしといて、ピーとケイトは二人だけの宇宙で、永遠の円環を、最強のベイブレーダー・go shoot>繰り返し、分裂症、それぞれの永遠をそれぞれの体に預けそれぞれの永遠に再び。ピーはエシュリオンのサブ垢となったのかもしれないが、ダンスによってすべての経験と知を全体的に集団で経験する彼らが、ピーとエロスの部分で芸術の部分でグリッドを超えてダンスをしたとするならば、この永遠ベイブレーダーとなったピーたちは、永劫回帰の宇宙に訪れた。

そしてこの世界の父母。ポールえマリア。量子力学的自我とオートヴァースのジャンキー二人。現世での二人、病的なほどの進歩、前進への欲望で神を捨て去る。だがついに、New Worldを作り出し、エシュリオンの神となった二人は、その先にて、その子供であるようなエシュリオン人に自らが神であることを否定される。エシュリオンは内部で生成に生成を継がせながら踊り進歩する種族であるために。エシュリオン人と対話したら、神を排除しようと崩れ去れるグリッドの境界で、マリアは、新生したポールと抱擁。マリアはこのポールが子供か生まれ変わったポールかの境界を定めることが不可能。そして二人は今度は愛と神に包まれて、前進する。熱を取り戻そうと。

この新世界は無限に続く(と思われていた)。人間の認知の不完全性の極致で、終わりがふと訪れた時、彼らは熱を、物語を、人生の熱狂を求めた。神を抱えた前進へと、または芸術そして永遠へ。どちらの世界も最小単位を二人としてね。ポールとマリアは、二人で神を引き入れ進歩へと伸びてこうとあがいて、ピーとケイトはピーが芸術的分裂シューターとなりケイトはそのすべてを愛す永遠へと。そしてじじいは、現世での中折れ的断絶から断ち切れないため冷え切った。この小説は外側から書かれたような絶対性を伴い、クオンタムやポストモダニズムが物語として現れるような超絶な外を感じるために面白いのだが、その最終地点においてその外の距離から、ぼくらの内(愛、神、芸術テキな)へと急激にジャンプしてきて、その位置エネルギーの異常な大きさによって内が胎動、破裂、爆発して、大きな外へ開けるのだ。

ポールとマリア、ピーとケイト、爺とポン中。全員が熱狂の中で駆け出すものこそぼくらの目指すポップミュージック。あらゆる方向に向かってく進歩へのエネルギー、ライドとして連なっていく永遠、そして二人の孤独または、それはクラブ、フォグにかき消された時間、個人/全部でダンスすることへ。